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2012年6月10日日曜日

映画「道 白磁の人」の主人公浅川巧の墓に行って来ました



今「道 白磁の人」という映画が上映されている。http://hakujinohito.com/index.html日韓合作映画だ。その映画のチラシを見て初めて浅川巧を知った。恥ずかしいことだが、韓国に何度も行き、韓国人の知人もたくさんおり、韓国語も少しできるようになったが浅川巧の名前は今年になるまで知らなかった。

浅川巧は1891年山梨県生まれ。1914年林業技手として日本帝国主義支配下の朝鮮にわたり、朝鮮総督府農商工部山林課の職員として勤務した。1931年40歳の若さで亡くなっている。存命中は朝鮮の植林に貢献した。朝鮮の人から尊敬され慕われた数少ない日本人であった。映画の原作になった、江宮 隆之著 白磁の人 (河出文庫)に詳細に描かれている。

映画でも紹介されているが、浅川「名前は大切です」という。それぞれの名前=言葉を大切にすることは、それぞれの人を大切にすることである。相手の国の言葉で、ありがとうを言おうと思うかどうかが、その人の人間観を示す。彼は韓国語を話し韓服を着て過ごした。日本帝国主義が創氏改名を迫り日本語の使用を強制したあの時代にこんな生き方をできた人がいたということ知って感動した。

お墓はソウル地下鉄7号線上鳳(サンボン)駅で降りて、2番出口から出て、タクシーで忘憂里共同墓地(マンウリコンドンミョジ)まで15分ぐらいで公園管理事務所前につく。私が行ったのは土曜日の朝だったがウォーキングの方が多数おられた。事務所で浅川巧の墓はどこにあるかと聞くと、親切に作業用のトラックでお墓まで送ってくれた。共同墓地なのでたくさんの墓があるのでわかりにくいが、そばまで連れて行ってくれたのでありがたかった。こんなことはいつでもあることではないだろうが、浅川巧が今でも韓国の人に大切にされていることがよくわかった。

記念碑には,韓国語でこう刻まれていた。
「韓国の山と民芸を愛し,韓国人の心のなかに生きた日本人,ここ韓国の土になる」
浅川巧の墓については佐藤大介著「観光コースでないソウル」(高文研)紹介されている。
ソウルに行く機会があればぜひ訪れてください。

映画「道 白磁の人」も見てほしい。日本帝国主義併合下の朝鮮の様子がよくわかる。韓国の知人にも映画の感想をぜひ聞きたいと思う。

経済でも環境でもエネルギー問題でも世界は転換期にさしかかっている。私はどう生き行動したのかが問われる時が必ず来ると思う。浅川巧のように自分の理性と感性に正直に生きぬきたい。外国語の勉強も続けたい。

韓国の学生との対話http://heiwayutaka.blogspot.jp/2011/01/blog-post.html

2 件のコメント:

  1. 始めまして。
    私も白磁の人を見て、九月に浅川氏のお墓に参ろうと、訪れましたが、道に迷い、結局お墓にはたどり着けませんでした。残念。またチャレンジしたいと思っています。

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  2. 私は昨日映画を観て浅川氏のことを知りました。この映像に出たお墓は何処にあるの?
    とても気になりました。
    機会がありましたら行ってみたいです。

    情報カムサハムニダ

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