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2012年10月28日日曜日

ソウル 戦争と女性の人権博物館




戦争と女性の人権博物館に行ってきた。場所は地下鉄弘大入口(最寄は1番出口)から北西徒歩10分のところにある。住宅街にあり見つけるのが大変だった。

「戦争と女性の人権博物館は日本軍『慰安婦』被害者が経験した歴史を記憶・教育し日本軍『慰安婦』問題を解決する空間です。」(博物館パンフより)地下一階地上二階の小規模な博物館だ。日本人としては気の重いテーマだが。日本軍「慰安婦」問題をどう認識し、どう行動するのか。これが東アジアの一員である日本人一人一人に問いかけられている問題だ。

被害者が多数告発し謝罪と賠償を要求している。
日本政府は938月慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話を発表している。http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html
「長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。」「その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」これが日本政府の公式見解だ。

しかし日本国内の右派的潮流、たとえば橋下大阪市長、安倍自民党総裁はこれを否定し、河野談話を撤回しようとしている。

地下展示室には慰安所の再現セットがある。簡易ベッドだけの部屋。強制的に性行為をおこなうための部屋。食事も酒もいわんやシャワーや風呂もない、ただただ性行為を強制するための空間。これを目の前にして、右派が是認する「自由な合意による売春」が行われた空間だと強弁するのは不可能だ。

博物館は現在も続く世界の紛争と女性への暴力について展示もしている。
日本が被害者に対し真摯に謝罪し賠償することが世界の紛争と女性への暴力を終わらせる大きな一歩になる。

ソウルに行ったら是非、訪問してほしい。

121-843ソウル市麻浦区ワールドカップ北路11道20
電話 82-2-365-4016 / 82-2-392-5252 
Fax 82-2-365-4017
ホームページ www.womenandwar.net

計画停電計画は二度と出されてはならない 2012年夏関西電力計画停電計画についての草の根総括


暑い夏がようやく終わったらもう晩秋だ。季節の移り変わりは早い。
622日関西電力株式会社から「万が一の備えとしての計画停電」計画が発表された。もし実施されれば患者のいのちに関わる事態が発生する可能性があり、この夏緊張した日々を送った。97日関電が「この夏の節電期間の終了」を宣言し、計画停電は実施されずに終了した。結果的には「大飯原発の供給力がなくても、電力使用率が100%を超え、計画停電が必要になったと考えられる日数はゼロ。関電が緊急節電を呼びかける基準とした97%超も1日だけだった。」(10月1日朝日新聞)大飯原発再稼働も、計画停電計画も必要なかったことになる。

人工呼吸の患者やクーラーがないと熱中症になる方など電力がないと生命が維持できない人がいる。これらの人は停電弱者と言える。実施されなかったといえ関電が準備した計画は、個々の住民の事情を無視して地域を指定して一律に停電を実施し停電弱者の生命を危機にさらす非人道的なものであった。2012年夏の関西電力計画停電計画について、事実を記録し二度とこのような計画が出されることがないようにしたい。


1、計画停電計画は民主的な議論なしで決定された
その発端は、5月18日電力需給に関する検討会合エネルギー・環境会議であった。そこで「セーフティネットとしての計画停電の準備」をすることが決められた。
「計画停電は実施しないことが原則であるが、大規模な電源の脱落等万が一に備えて、(中略)計画停電の準備を進めておく」とで協議され確認された。
国会で電力需給見通しの妥当性や計画停電計画そのものの適法性について審議されなかった。


2、計画停電は人命尊重を第一に計画されたか
電力需給に関する検討会合エネルギー・環境会議は計画停電に実施の留意点として次の点を指摘した。
「併せて、国民生活への悪影響を緩和するため、医療機関等の緊急かつ直接的に人命に関わる施設や国の安全保障上極めて重要な施設等については、変電所の運用改善等によって技術的に可能な範囲で停電による影響をできる限り緩和する」

事実、救急病院のある地域は計画停電から除外された。しかしそれ以外の医療機関は計画停電の対象となった。金融機関も対象外になったようだ。しかしどの地域がどんな理由で対象地域から除外されたか説明されていない。

自宅で人工呼吸器をつけている患者さんの居住する地域が計画停電の対象地域になったので、関電に対象地域から除外してほしいと関電に電話で申し入れたが、「皆さん平等にしているのでダメだと断られた」。電気供給がなしには生きていけない患者さんの電気を、健常な人のそれと「平等」に停電するのは正当ではないどの地域であれ停電弱者はいる。一つの地域を計画停電にすれば、停電弱者は危機に陥ることになる。それは無差別爆撃と同じ無差別停電である。個々の住民の状況を無視した地域一律の計画停電は非人道的である。

3、停電弱者への対策はされたのか
電力需給に関する検討会合エネルギー・環境会議は計画停電の実施にあたり「在宅で人工呼吸器等の医療機器を使用する患者への対策の徹底、熱中症対策の周知徹底等に取り組む」とした。しかし実際はどうであったか。

先に述べた患者さんの場合、計画停電実施時関電は自家発電機を設置し電気を供給していただくことになった。自家発電機では電圧の変動がありクーラーが故障する可能性があることがわかった。体温調節機能に障害がある患者さんは停電すれば自家発電機があってもクーラーが動かず生活できないことがわかった。結局、計画停電が実施されれば入院してもらうことにした。

停電でクーラーが停止することは大問題である。クーラーのない暑熱環境で生命の危機に陥る方は少なくない。しかしこの対する具体的な対策は関電からも、国・地方自治体からもされなかった。

電気がなければ生命の危険がある患者さんは在宅人工呼吸の患者さんだけではない。在宅療養をしている患者さんは様々な医療器械を使用している。酸素濃縮器、喀痰吸引器、電動ベッド、エアーマット、移動用リフターなどである。

酸素濃縮器は停電になれば動かない。電気不要な酸素ボンベに変更する必要がある。計画停電が予想される時には、前もって酸素機器の会社が酸素ボンベを配置することになったが。停電実施時に酸素濃縮器から酸素ボンベに誰が変更する作業をするのかが問題になった。患者さん本人やご家族がそれを実行する能力があるかが検討課題になった。停電実施時に医療機関から電話で変更状況を確認するだけでいいのか。本人・家族実行能力がないと評価すれば、臨時で医療機関や介護機関から訪問して実行・確認することにした。

吸引器にバッテリーのないタイプがあった。今後停電は様々な理由で起こる可能性がある。吸引器はバッテリーをバッテリー付きのものに変更しなければならないが実施できていない。

停電弱者に対する対策はほとんどなされなかった。医療機関の努力だけでは危機は回避できなかったといえる。


3、電力不足時の対策はどうすればいいのか

自然災害などの突発事故で発電・送電が停止することは十分に考えられる。その場合は停電弱者の救援を最優先にしなければならない。しかし電力の供給不足で電力供給を制限しなければならない時にどういう方法で電力供給をコントロールするかである。先に述べたように一定の地域を計画的に停電させては非常に危険である。停電を回避し電力弱者を守るために、すべての自家発電機のフル稼働とすべての地域で強力な節電を呼びかけ実施する以外に方法はない。緊急自家発電と緊急節電のポテンシャルの評価を行う必要がある。


4、最後に
政府と電力会社は電力を供給する義務がある。

憲法第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

電気事業法第18条 一般電気事業者は、正当な理由がなければ、その供給区域における一般の需要(事業開始地点における需要及び特定規模需要を除く。)に応ずる電気の供給を拒んではならない。

停電を実施すれば危機に陥る可能性がある停電弱者がいるのに計画的に電気を停めるのは生存権の侵害である。
無差別の計画停電は憲法と法に違反する。

電力不足を回避するために、省電力社会の推進と再生可能エネルギーよる発電を推進しなければならない。再び「計画停電」計画は出されてはならない。

2012年10月14日日曜日

アフガンに実る“奇跡の小麦”プロジェクトにノーベル平和賞を


20121013日放送のNHK総合テレビ海外ネットーワーク「半世紀を超えて“奇跡の小麦”物語」を観て感動した。アフガニスタンは長引く戦火のため農業が壊滅状態になっている。もともと小麦の原産地で豊かな農業生産が行われていた土地だ。国の復興のために、農業の再生が必要だ。アメリカなどの外来種を持ち込んで小麦生産をおこなおうとしたが、乾燥した風土に合わずうまくいかない。そこで横浜市大木原生物学研究所が1955年から保存しているアフガンの小麦在来種150種近くを、アフガンで育成・品種改良するプロジェクトが201111月から開始された。その結果2012年見事に実をつけたと報道された。日本がなしとげた誇らしい国際貢献である。

故木原等博士が1955年カラコルム・ヒンズークシ学術探検をおこなった。その際パキスタン・アフガニスタン・イラン地で小麦在来種を採集した。それが横浜市大に保存されていた。地味な学術研究が57年経った今大きな成果を上げた。

学術研究を目先の利益にとらわれず進めていくことの重要性が痛感された。また小麦在来種の保存が食品巨大企業ではなく、公的研究機関で行われていたことをうれしく思う。もしアフガンの小麦在来種の種子と遺伝情報を食品巨大企業が独占的に持っていたとしたら、アフガンの復興は更なる困難を迎えたと思う。公的また非営利の研究機関が学術研究を大いに進められる状況をつくらなければならない。


ノーベル平和賞はオバマ大統領が受賞し、今年はEUが受賞した。この受賞は世界中がこぞって称賛できるものではない。アフガンに実る“奇跡の小麦”プロジェクトこそがノーベル平和賞にふさわしいと思う。

2012年10月13日土曜日

「われわれは機械ではない」全泰壱(チョン・テイル)の叫び


129月ソウルに行った。チョン・テイルの記念碑を見てきた。

全泰壱(전태일、チョン・テイル1948826日生まれ)は、韓国における労働運動家である。彼は19701113日韓国ソウル市で「われわれは機械ではない」、「勤労基準法を遵守しろ」と主張し、自らに火をつけて焼身自殺をした。22歳であった。「僕の死を無駄にするな!」と叫びながら死んだ彼の死は、軍事独裁政権下の韓国社会に大きな衝撃を与えた。

彼は大邱の貧しい家庭に生まれた。17歳でソウル市東大門市場の縫製工場に就職した。そこでは女性労働者の多くが劣悪な環境で働かされていた。労働運動に目覚めた。独学で労働法を学び、同僚と共に勉強会を組織した。工場における労働実態や労働環境について調査し、それに基づいて労働庁に陳情したり、雇用者と協議を重ねたりした。

「尊敬する大統領閣下!(略)私たちは勤労基準法の恩恵を少しも受けられず、しかも2万人余りを超える従業員の90%以上が返金年齢18歳の女性です。(略)また、2万人余りの中で40%を占める補助校は平均年15歳の子どもたちです。彼らはみな零細民の子弟であり、飢えと苦しい現実に打ち勝とうと1日に90ウォンないし100ウォンの給料を受け取りながら、115時間ずつ作業をしています。」(1970年清渓被覆労働組合員チョン・テイルが朴正熙大統領に送った嘆願書 韓国近現代の歴史 明石書店)

その結果が解雇そして警察の弾圧であった。それに抗議して彼は勤労基準法の本を焼き、焼身自殺した。

彼の死をきっかけに韓国の民主化闘争は激しさを増した。そして1980年の光州事件、1987年軍事独裁政権打倒に繋がっていった。

チョン・テイルの記念碑は東大門の近く、清渓川(チョンゲチョン)にかかる橋の上にある。すぐそばには露天で有名な広蔵市場(カンジャンシジャン)がある。平和市場(ピョンファシジャン)という衣服店街がある。そこが彼が働き、焼身自殺した場所だ。

記念日のチョン・テイルの像はまるで子供のような表情をしている。22歳よりも幼く見える。

チョン・テイルは高等国民学校15歳で中退している。労働運動を目覚めた彼は労働法を独学で勉強した。漢字の多い本を読むのに苦労した彼は「大学生の友人がひとりいれば」と口癖のように言っていたそうだ。

「大学生の友人がひとりいれば」という言葉は韓国の学生・知識人に大きな衝撃を与えた。自分たちは何をしてきたのか、そして何をするべきか。一人一人の社会的責任を問うことになった。

チョン・テイルは「僕の死を無駄にするな!」と言い残して死んだ。1948年生まれだから、彼が私より1年先に生まれている。1970年彼がなくなった時私は大学生だった。同じ頃、同じ東アジアに生まれた私が「彼の大学生の友人」として何をするべきか深く考えさせられた。ソウルに行かれたら、カンジャンシジャンの見物のついでに清渓川まで足をのばして記念碑を見てほしい。


お父さんとチョンテイル(原題:아빠와 전태일)


全泰壹烈士の映画-『美しき青年・全泰壱』より


2012年10月7日日曜日

イ・ハンヨル(李韓烈)記念館に行ってきました


2012929日(土)朝、韓国ソウルにあるイ・ヨンハル記念館に行ってきました。イ・ハンヨル烈士と韓国では呼ばれています。1987年韓国の軍事独裁政権を倒した民主化闘争の引き金となった延世大学経営学科2年の学生です。警察の催涙弾の直撃を頭部にうけ、亡くなっています。

「母にとっては優しかった息子イ・ハンヨル、彼は大学生になってから80年度の光州民主化抗争と韓国社会の問題について悩む青年でした。198769日、彼は光州虐殺によって政権を握った者たちの権力延長を防ぐためのヨンセ人決意大会に参加したばかりに、警察が放った直撃催涙弾に撃たれ、生死の境に立たされます。
彼の消息を知った学生・市民たちは6月一ヶ月の間町に飛び出して、「ハンヨルさんを返せ」と、彼が叫んでいた“護憲撤廃独裁打倒”を叫びました。結局629日、その者たちは直選制受け容れると言う降伏宣言をすることになります。
75日、およそ一ヶ月の時間を病床についていた彼は、多くの人々の祈りにもかかわらず、ついにこの世を去ってしまいました。」(いつもあなたがいとおしい イ・ヨンハル記念館)

ソウル新村ロータリーにある記念館は民家を改造したと思われるこぢんまりとした4階建てです。3階と4階の烈士の遺品と6月抗争当時の写真が展示されていました。案内役の延世大学の学生さんは、「自分は大学生になってはじめてイ・ハンヨルを知り記念館に関わるようになった」と言っていました。「自分がここに来るようになって友だちも関心を持つようになり、記念館に出入りするようになった。」イ・ヨンハルの展示物を熱心に説明してくれました。1987年の韓国の民主化闘争を学生として戦った人は40代後半になっています。その世代に続く、現役の学生に会えてうれしく思いました。

1987年と言えば。
41 - 国鉄が分割・民営化され、JRグループ7社が発足。
626 - 日本の外貨準備高が西ドイツ抜き世界一へ
1129 - 金賢姫による大韓航空機爆破事件発生
1216 - 韓国大統領選挙が16年ぶりに行われ、盧泰愚が当選。
12月 日本のバブル景気開始
19889月ソウルオリンピックが開催されました。
日本がバブル経済で浮足立っていた時、韓国では苛烈な民主化闘争が戦われていたのです。

韓国の民主化闘争の歴史を学び、民主活動家や現役の学生と交流することが日本の運動にとって意味があると思います。
多くの方が訪問されることをお勧めします。
週末、夕方にも観覧可能です。予約ができます。
(02-325-7216/ leehy19870609@hanmail.net)
◎アクセス


地下鉄2号線新村駅8番出口から直進、ダズショウピングと新村韓医院の間で左折、80m先で右折、70mまっすぐ歩いて左側の白い4階建ての建物がイ・ハンヨル記念館です。