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2015年8月7日金曜日

戦争になったら医師は何をするのか

安保法制をめぐる議論が続いている。日本が戦争をする国になり戦争が始まったら医師は何をさせられ、何をするのかを考えてみたい。
九州大学生体解剖事件を知っているか。太平洋戦争末期の19455月、アメリカ軍のB-29が撃墜された。生き残ったのは9であった。機長1名のみが東京へ移送された。軍は裁判をせずに8名を死刑とすることにした。これを知った九大の医師達は、8名を実験手術に供することを軍に提案した。実験手術は1945517日から62日にかけて行われた。8名はすべて死亡した。一側肺全摘出実験、海水注射実験、胃全摘実験、心臓切開実験、肝臓切除実験、開頭脳切除実験、縦隔切開実験である。まぎれもない医学犯罪である。
なぜ医師達はこんな医学犯罪をしたのか。軍や教授の命令で断れなかったと口をそろえた。日本の医師はこんな医学犯罪を九大だけでなく中国各地で行った。ドイツの医師も同じことをした。それを反省して、医学実験は「被験者の自発的な同意が絶対に必要である」「死亡や障害を引き起こすことがあらかじめ予想される場合、実験は行うべきではない」とするニュルンベルグ綱領がつくられた。
平和な今ならこんなことは絶対にしないと誰もが言うだろう。でも戦争になったら国を守るためとか、自分の家族を守るためとかいう「大儀名分」が我が物顔に振舞う。どうせ死刑になる人間だから、医学の進歩のために、業績のために、技術研修のために等々。悪魔の誘惑が頭を駆け巡る。その状況でたとえ自分が殺されるようなことがあっても医学犯罪は行わないと言い切れるか。もちろん捕虜虐待をすれば国際法違反の戦争犯罪だ。
戦争になれば勝つことが絶対の価値になる。それ以外は勝つための手段にされてしまう。患者の命を守るという大原則も足蹴にされる。医学が医学であるためには殺し殺される状況を未然に防ぐことが必要だ。戦争法案を廃案にしよう。

殺し殺される日本にしないため

「今年も原水禁大会に行くのですか」と患者さんによく言われる。ことしも長崎に行く。原水禁大会は連続六年の参加だ。「核兵器が廃絶される日まで、毎年原水禁大会に参加し続ける」と宣言している。「どうして平和運動をしているのか」と聞かれる。若いころは「侵略のための銃を持たない、戦争で人を殺さない」と思って運動をしてきた。今は自分も家族もそして隣国の友人もみんなが戦争で殺されないために平和運動をしている。
 戦争で一番恐ろしいのは、「戦争に勝つこと」が唯一の絶対の価値になることだ。異論を述べれなくなる。平時なら絶対に殺人などしない一般人が殺人者に仕立てあげられる。内心では反対でも反対の意思が表明できず、命令に従って殺人者になってしまう。
 「永遠の0」という小説がある。映画にもなりテレビドラマにもなった。作者は百田尚樹だ。「家族のもとへ、必ず還る」「死にたくない」と公言する戦闘機パイロットの主人公は多くの人に感動を与えた。ただ帝国海軍でそんな軍人が現実に存在できたのか。リアリティーに問題がある。また小説とテレビドラマではあるが映画ではないエピソードがある。撃墜されてパラシュートで脱出する敵兵を主人公が射殺する。それを「武士の情け」がないと批判されると、彼は「殺さないと、また殺しにやってくる」と言い放つ。家族のもとに生きて還りたいと考えるものが、家族がいる無抵抗の敵兵を射殺した。「これが戦争だ」と言う。「永遠の0」は当時の軍上層部や特攻戦術を批判するが、戦争そのものは批判しない。
「国を守るために戦争に行け」というのでは受けが悪い。だから「愛するものを守るために戦争を」と言う。しかし忘れてはならない。「敵」にも愛する人がいる。「愛するものを守るために」、戦争を未然に防がなければならない。「永遠の0」と戦争法推進の百田尚樹がどう結びつくのか考えてみてほしい。